Ride to enjoy life.

自分に残された時間には限りがある。キモチの悪い4miniの世界とはオサラバして、カッコいいホンモノのモーターサイクルに乗って美味しいモノを喰いに行き人生を楽しむコトに致しました。

2011年7月3日日曜日

長くなるが「日本人」ならば読め。





玄海原発再稼動にはナニやらキナ臭い噂が色々と飛び交ってるんですなぁ・・・。



「玄海原発「再稼動」への警鐘」

玄海原発の再稼動をめぐる動きが最終局面に向かっている。
根拠のない「安全」を振り回す国の姿勢にはあきれるばかりだが、
茶番に付き合ってばかりはいられない。

検証すべきは、玄海町や佐賀県に、
原発の是非を判断する資格があるのか、  
という一点だ。

原発マネー

玄海原子力発電所を抱える佐賀県玄海町が
年間に発注する公共事業は、年に100~130件に達する。

財源の多くは「電源立地地域対策交付金」や
「核燃料サイクル補助金」など、
原発立地自治体への「あめ」であることは言うまでもない。

電源立地地域対策交付金等で整備した主な公共施設 
町民会館、体育館、産業会館、公園、野球場、温泉施設、下水道、道路・・・。

人口6500人程度の町に、身の丈に合わぬ公共事業が溢れているが、
人口は年々減る一方だ。

原発を容認しなければ
「佐賀県一の貧乏地域」に逆戻りする
という現実が、同町住民の本音を押しつぶす。

「お父さんも息子も原発関係で働いとるもん・・・。心配といえばそりゃあ・・・」(同町の主婦)。

玄海町住民暮らし向きをながめ、話を聞くが、特別に「豊かさ」を感じることはない。

それでは、原発マネーはどこへ流れ、 
誰が一番得をしているのか。

玄海町を訪れるたびに感じるのは不正のにおいだが、
そうした疑惑の先には
町政トップで玄海原発再稼動の鍵を握る岸本英雄町長の存在がある。

玄海町の隠蔽体質
同町への取材を通じてわかったことは、
入札に関する公文書が満足に用意されておらず、
閲覧を申し出ても公共事業の実態が把握できないことだ。

玄海町役場 例えば、入札結果の一覧は平成22年度以降の分しか存在せず、
それ以前のものは閲覧さえできない。

ほかの自治体では考えられないズサンさだ。

さらに案件ごとの入札状況、
つまり入札参加業者と応札価格などを示す文書も準備されておらず、
国が定める指針などお構いなしの状態。

同町が町外からの情報公開請求を受け付けないことも、
同様の理由であると思われるが、
原発の町の隠蔽体質は病的でさえある。

玄海原発の運転再開にあたり、
玄海町の意向が最優先されることの愚かしさを報じるメディアは皆無だが、
同町や岸本英雄町長に原発の是非を論じる資格がないことは報じてきたとおりだ。

古川知事の計算

佐賀県庁 29日、海江田経済産業大臣が玄海町と佐賀県を訪れ、
岸本町長と古川康知事に原発再稼動を要請したが、
それは単なるセレモニーに過ぎない。

早い時期から運転再開を認める発言を繰り返してきた岸本町長、
最終的には「容認」と言い出すはずの知事。

どちらも「同じ穴のムジナ」なのだ。

海江田氏と会談した直後の会見で、
突如「安全性の問題はクリアした」と明言した古川知事だが、
原発の「安全」を約束できる機関や人間など、
世界中ドコを探しても見つからないはずだ。

福島第一原発の事故に関する詳細な説明もできないうえ、
総辞職が確実となった内閣の一員に過ぎない海江田が、
「安全性は国が責任を持つ」と大見得を切ったが、
これほど無責任な話はない。

しょせん"原子力村"を代表して
知事のパフォーマンスの助演をやっているだけなのだ。

海江田氏や知事が言う「ホショウ」とは、
つまり「保障」ではなく「保証」と書くのだろうが
放射能被害を受けてからカネをもらっても、
何の意味も持たない。

それでも古川知事が海江田氏との会談後に、
玄海原発再稼動に向けて前向きな姿勢を示し始めたのは、
したたかな知事の計算通りに事が運んだからにほかならない。

玄海町が認めた。
国が保証した。
県議会も認めた。
県民への説明会も行なった。

だから運転再開を容認します。

古川知事はそう動くはずだ。


計算された茶番劇に騙されてはいけない。




求められる国民の議論

この国は、
放射能が人や地域の未来を奪うことの現実を身をもって経験している。
広島、長崎、そして福島と3度も、だ。

海江田程度の政治家が
「国が責任を持つ」などと言っても、信じる国民はわずかだろう。

玄海町や佐賀県だけに
地域社会の未来を委ねることは間違いである。

それを証明する材料は、まだまだ在る。

原発の是非は広範な国民の議論を経て決するべきなのだ。









「原発利権めぐる癒着の実態」

玄海町長のファミリー企業は
国と県の天下り先だった。

玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)の再稼動問題で、
鍵を握る存在となった岸本英雄町長のファミリー企業に、
旧建設省と佐賀県のOBが天下りしていたことが明らかとなった。

原発利権にすがる地場ゼネコンと、
国、県、立地自治体の不適切な関係。
中心にいるのは岸本町長その人である。

「岸本組」取締役に国と県のOBが
岸本町長のフェミリー企業は、
地場大手ゼネコン「株式会社岸本組」(本社・佐賀県唐津市)。
岸本町長は同社創業者のひ孫にあたり、
現在の同社社長には岸本町長の実弟(佐賀県警OB)が就任している。

HUNTERの調べによると、
平成13年4月末に建設省九州地方建設局(現・国土交通省九州地方整備局)を
退職した人物が同年5月1日には岸本組技術部長に就任。
平成17年からは取締役に昇格していた。

一方、佐賀県を平成15年3月末に退職した人物は
同年5月に企画部長として岸本組に入社、
平成17年からは同じく取締役となっていた。

ふたりは、平成21年7月にそろって退任しているが、
それぞれの入社は岸本町長が県議会議員に在職していた時期となる。

癒着の構造

岸本組は、国土交通省、佐賀県、玄海町の公共事業を受注してきており
同社ホームページにも得意先として明記している。

同社における民間最大の得意先は、
玄海原発の事業者である九州電力とその子会社の西日本プラント工業。

岸本組が原発利権に支えられた企業であることは、
得意先や受注した工事からも明らかで、
天下りの事実が示す癒着構造には改めて批判の声が上がりそうだ。

岸本町長は、岸本組の株式7,000株以上を保有しているほか、
自宅の土地は亡くなった同社創業者の名義、
後援会事務所の建物は岸本組の所有であることなどがわかっている。

岸本組本社は、一切の取材を拒否する姿勢。






「玄海原発再稼動 決めるのは国民だ」

九州電力・玄海原子力発電所の再稼動に向けた動きが加速しはじめた。

この国の原発行政に大きな影響を及ぼすことが必至な事案であるにもかかわらず、
国民は傍観者の立場に追いやられている。

同意権者とされる玄海町や佐賀県についての情報さえ満足に知らされぬまま、
唯々諾々と再稼動を認めるのは間違いだ。

原発マネーと玄海町 

自身が大株主として君臨するゼネコンの社長を実弟に務めさせ、
会社の施設は使い放題。
国や佐賀県から天下りを受け入れ、多くの公共事業を受注、
さらに九電のカネや電源3法交付金といった
原発マネーで潤ったゼネコンの金で町政を支配する。

12名しかいない町会議員の半数前後は、
町長選挙で運動員になって堂々とカネをもらい、
原発推進の姿勢を鮮明に打ち出す。

町民は雇用と交付金でがんじがらめにされ、
町政批判を口に出すことさえはばかられる。

原発の町・佐賀県東松浦郡玄海町の、それが実態だ。

なぜ「玄海原発」なのか 

カネでひとつの自治体を「買う」ということが、
この国では平然と行なわれてきた。

その結果、福島第一原発の事故と
多くの人々が故郷を失うという現実を生んだ。

福島の事故は、
定期検査のため休止していた全国の原発の再稼動を阻んでいるが、
玄海原子力発電所については事情が違う。

再稼動の鍵を握るとされる
岸本英雄・玄海町長は、
原発利権の中心人物であるうえ、
県政トップの古川康知事の父は、玄海原発の事業者である九州電力の元社員。

このふたりが原発を止めるような決定を下すはずがない。

だからこそ、国は玄海を原発再稼動の嚆矢にしようと目論んだのであり、
玄海の動きが全国へと波及するよう仕向けてきたのである。

メディアの不作為 
乗せられたメディアは、
玄海町長や町政の実態といった背景を検証することさえなく、
町長のコメントをもらうことに血道を上げてきた。

玄海町で、町長や町議らの選挙運動費用収支報告書や資産公開資料、
さらには公共事業に関する公文書を閲覧するたび、
役場の職員は異口同音に「こんなこと(取材・閲覧)をされるのは初めてですから」。

つまり、どこの取材陣も玄海町の実相を追うという
基本的なことを怠ってきたのである。

メディアの不作為と言っても過言ではあるまい。

「玄海町と佐賀県が同意すれば再稼動」。
九電や国が勝手に決めたルールに、
反論するメディアも皆無だ。


福島第一原発の事故のあと、原子力発電の是非を判断することは、
周辺自治体はもちろん、国民共有の課題となっているのではないか。

さらに言うなら、
原発の利益を享受してきた自治体や人物に、
国や私達の未来を左右する資格があるのか?

判断材料を提供する責務は、メディアが負っているはずだ。


玄海町や佐賀県の腐敗は深刻である。
玄海原発のさらなる危険性も存在する。

玄海町長や県知事がOKを出そうと、 
運転再開を容認してはいけない。



原発推進は国策だと言うが、
主権者は「国民」なのだ。

















玄海町の人達さぁ・・・。
オレ、素朴な疑問があるンだけど・・・。
原発動かすと、そんなにイイ思いが出来るワケ??
ヒトトシテ神経疑われるような政治家の片棒を担ぐと

そんなにオイシイことがあるの???
世界中の「原発を止めよう」と頑張っている人達から
「ポン中」とか「ヒトデナシ」とか
「放射能浴びて死ね」とか言われてさ、
ソコまで言われても「原発は動かすよ」って言えるほど
原発を動かすとオイシイ生活が出来るのかい???
いったいナニがそんなにオイシイんだい???

オレはソレが不思議でならない。

ヒトトシテの誇り尊厳放棄して
故郷を売り払うのに等しい行為までして手に入れた汚れた金

ナンの喜びが得られるのだろうか???


オレは一生理解出来んし 理解する気も無いわ。

原発は動かすよって言ってるヤツは
放射能浴びて死ねばエエと思うよ。













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