「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」
なぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。
福島第一原発の正門では、
15日午前9時に、毎時1万1930マイクロシーベルトの高い放射線量が観測された。
それでも、枝野の発言は楽観的だった。
原子炉が、12日のうちにメルトダウン(メルトスルー)を起こしていたことが
国民に知らされるのは、後になってからだ。
知らないのはわれわれだけだった。
SPEEDI(スピーディ)という、コンピューター・シミュレーションがある。
政府が130億円を投じてつくっているシステムだ。
放射性物質は、津島地区の方向に飛散していた。
しかし政府は、それを住民に告げなかった。
SPEEDIの結果は、福島県も知っていた。
知らされなかったのは、SPEEDIの情報だけではない。
「私たちは、国から見捨てられたということでしょうか」
郡山市では、避難して来る人たちの放射能測定をしていた。
測定器が向けられると、針が大きく振れた。
「私、死んじゃうの?」と、測定係に叫んだ。
「原発は安全」
これまで、そんな説明を、何度も聞いていた。
それを前提とした生活が、すべて崩れた。
しかし、原発のおかげで、住民が恩恵を受けてきたのは事実なのだ。
「原発だけ悪いなんて、私たちはいえないのよ」
「反対ばかりしていないで、落ち着いて考える必要がある。
原発をやめるわけにはいかないだろうから」
それから21年。
原発は安全だという幻想は、あっけなく崩壊した。
背中に「文部科学省」と書かれた作業服の男たちが、
地区に放射線量を計測にきた。
「今日はなんぼですか」と尋ねる。
「15マイクロシーベルトだよ」
6月初めのある日曜日、男がポツリと言った。
「今だからいうけど、ここは初め100マイクロシーベルトを超していたんだ。
そのときは言えなかった。すまなかった」
「2時間いたら、1ミリ吸います」
線量は、毎時500マイクロシーベルトを超えていた。
2時間いただけで、年間許容量を超える
警視庁のパトカーが敷地に入ってきた。
「ここって高かったんですね」と、30代ぐらいの警察官に聞いてみた。
「そうなんです、高いですよ。でも政府から止められていていえなかったんです」
警察官はそう答えた。
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