Ride to enjoy life.

自分に残された時間には限りがある。キモチの悪い4miniの世界とはオサラバして、カッコいいホンモノのモーターサイクルに乗って美味しいモノを喰いに行き人生を楽しむコトに致しました。

2011年10月4日火曜日

福島を復興してもいいのか?





本日の愛知県春日井市は晴れ


放射線量は

地上1mで0.10μsv/h

地上5cmで0.13μsv/h

風通しの良いコンクリート

SOEKS-01Mで各10回計測の平均値。

Co-60補正(×0.774)済です。







福島は全避難でしょう。
少なくとも子供は全員、避難させるべきです。

水問題に詳しい人と話をしていた時のこと。
被災地の水問題を解決するため、
被災地各地を訪れているその方は、
「福島だけは岩手や宮城のようにはいかない」と話した。

「浄水場や下水処理場に一度入った放射能物質は、
どんどん循環してしまう。
水のことを考えたら、福島は住める場所ではない」

「福島」というのがどこまでの場所を指しているかはわからないし、
その方が福島の全部の水質調査をやったわけではないと思うし、
あくまで雑談の延長線上で出た話なので、
客観的根拠があってそのようなことを言ったわけではないと思う。

ただ私も福島取材に行く度に思うことがある。
それは、高濃度に放射能汚染された可能性が高い、
もしくは今後、原発に問題があれば、
放射能汚染される可能性が高い「福島」を、
一時の同情からボランティア活動などで、
復興させてしまうことは、
本当に福島の人のためになるのだろうかということだ。

もしかしたら復興に手を貸すことは、
本来、人が住んではいけない場所に、
人を住めるようにしてしまうことになり、
数年後、数十年後に放射能のせいで、
「助けた」はずの人たちの寿命を、
縮めることになるのではないかと。
それは人助けどころか、
極論すれば「人殺し」に加担することではないかと。

震災直後に福島で救援活動することは重要だと思う。
放射能がどうのなんていっている前に、
目の前にどうしようもなく困っている人がいて、
放射能うんぬんの前に飢え死にしないように、
寒さで凍え死なないように助けることは当然だ。

しかしもう震災から5ヵ月が過ぎようとしている。
にもかかわらず、岩手や宮城と同じような、
復旧・復興活動をしている人もいる。

果たしてそれでいいのだろうか?
放射能問題がなければそれでいい。
でも多くの人は放射能問題の素人だ。
私は行く度にガイガーカウンターを持って大気中の線量を測る。
しかしそれでは海水、土壌、水質、食品などの放射能汚染は測れない。
これまでの累積だってわかりやしない。

そんななか、泥かきしたり清掃活動したりして、
そこに人が住めるようにしてしまうことが、
本当にいいことなのだろうかと。

例えばそこに自分の恋人や親がいたらどうするだろう?
幸い、津波被害はまぬがれた。
でも原発からは30kmしか離れていない。
車で10分も走れば、厳重に警戒された、
原発立入禁止エリアがあり、
そこの大気線量は1マイクロシーベルトを超え、
防護服を身にまとった人々が行きかっている。

そこと10分しか離れていない場所に、
自分の愛する人がいて、
その人が「生まれ育ったこの場所に住みたい。
だからガレキを片付けてほしい」といわれて、
「よし、片付けてやろう!」と言うだろうか?

例えばチェルノブイリから30kmの場所に我が子が住んでいて、
「ここで暮らしたいからガレキ掃除手伝って!」
といって「よし、暮らせるように手伝ってやる!」というだろうか。

少なくとも私なら言わない。
「そんなところに住んでいたら危ない。
とにかくどこでもいいからここから離れることが大事。
お金もないけど違う土地での職探しとか、
手伝えることは手伝うから」と言うと思う。

どれだけ被災地や被災者に同情しても、所詮は赤の他人。
ボランティアが本当の家族や恋人と同じように、
被災地や被災者のためになることをアドバイスできるのだろうか?
もしかしたら自分とは関係ない人だけど、
「かわいそう」という同情心から、
被災者の声に傾け、かわいそうだから助けてあげる。
そしてその助けたことに、やりがいと自己満足を感じる。
それで被災者が放射能まみれの土地で暮らすことが、
本当に人助けなのだろうかと。

白血病で福島原発作業員が死亡したというニュースが今日流れた。
福島での作業と因果関係はないという。

政府や東電はメルトダウンしていたのに、
震災直後はそんなことしてないと言い張った。
放射能物質がまきちらされているのに、
そのことについて何のコメントもなかった。

そういう国に住んでいる。
そんな国でお人好しに人助けと称して、
今後5年後、10年後に死人が続出するかもしれない土地に、
人を縛り付ける「支援」をしていいものかどうなのか。

私は放射能の専門家ではないから、
そんなものは杞憂で、
実はぜんぜん住んでも大丈夫なのかもしれない。

しかし目の前のことしか考えず、
単に自己満足で手助けすることがいいことなのか。
いろんな可能性を考えた上で、
長期的な視野にたって今何をすべきか考えるべきじゃないか。

そしたら持てる力を何に振り向けるか、
変わってくるのではないか。

人のためになるということは、
人の言うことを100%聞くことではない。
そこを勘違いしている人がいる。

愛する人がその状況に置かれたら、
どうアドバイスするのか。
そう考えて復興活動をすることが、
大事なんじゃないかと思う。

もうフェイズは変わっている。


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