Ride to enjoy life.

自分に残された時間には限りがある。キモチの悪い4miniの世界とはオサラバして、カッコいいホンモノのモーターサイクルに乗って美味しいモノを喰いに行き人生を楽しむコトに致しました。

2014年1月7日火曜日

市民が一丸となって復興に進んでいるというのが建前 避難したいと言えない












「周りからは『大変ね』って、数え切れないぐらい言われる。
母子避難という"ブランド"を背負っているような感じ」。
長女(9)と長男(7)を連れて福島市から兵庫県西宮市に避難する〇〇〇〇(35)は、
自らに向けられる、周囲の同情的な目に戸惑いを感じている。
「こっちは前向きなつもりなのに」

期限ぎりぎりに転居
2012(平成24)年秋、
12月で県外避難者の為の住宅借り上げの新規受け付けが終わると聞いて、
急に不安になった。
18歳以下の県民を対象とした甲状腺検査で、
子どもらの甲状腺に「嚢胞」などのしこりが見つかったと
話題になったのもこのころだ。
検査した機関は原発事故との関連を否定したが
「うちの子は何もないとは言い切れない。後悔したくなかった」。
期限ぎりぎりに、神戸市の知人に紹介してもらった西宮市のアパートの
借り上げ手続きを済ませ、暮らし始めた。

避難してから、放射線について調べ
「やはり福島は危険だった」と思った。
今は子どもらが砂遊びをしていても安心していられる。
福島市に残る夫(37)には負担を掛けているが、
やはり避難して良かったと思っている。

昨年年の瀬に、福島市に一時帰宅。
正月は夫と過ごした。
福島の母親仲間とは、放射線に関する話題はあえて避けて、
子どもの話に終始した。
「サッカーやってるけど元気すぎて困ってる」

相馬市から滋賀県栗東市に避難する元設備業〇〇〇〇(52)は
11年11月に相馬の知人らと京都で再会した。
長女が卒業した中学校の吹奏楽部が音楽祭に特別出演した。
子どもらの前では「いつ帰ってくるの」などと
当たり障りのないやりとりだったが、
トイレや廊下で保護者と二人きりになった時、何人かから言われた。
「今度、何かあったら子どもを避難させたい。預かってくれないか」

〇〇は「人前では言えなかったんだな」と思った。
「相馬は市民が一丸となって復興に進んでいるというのが建前。
避難したいと言えない雰囲気があるのでは」と推測した。
「裏切り者」「もう仕事はないよ」。
相馬に一時的に戻ると、
同業者からは厳しい言葉を投げ付けられる。
しかし、〇〇は意に介さない。
「仕事もいいが、家族に健康被害が出たらどうするんだ」
国による避難指示のなかった地域から他県や会津地域に避難したのは
3万人程度とみられている。
賠償などがある避難指示区域からの避難者と比べ、
経営苦などが目立つとされるが、
当人たちは「避難して良かった」「(地元に)残っていたら大変だった」
と肯定的だ。
福島大行政政策学類准教授の丹波史紀(40)=社会福祉論=は
「自主避難者は職場や古里を捨てたのではという
後ろめたさを感じている人が多く、
避難が正しかったと思いたい気持ちが強い。
地元で健康被害などがあれば、
避難が正当化されるという考えもみられる」と指摘し、
「自主避難者に『避難は悪いことではない』『間違ってない』と
言ってあげるなどの支えが必要だ」と話す。




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