Ride to enjoy life.

自分に残された時間には限りがある。キモチの悪い4miniの世界とはオサラバして、カッコいいホンモノのモーターサイクルに乗って美味しいモノを喰いに行き人生を楽しむコトに致しました。

2015年3月16日月曜日

もっともらしいイイワケで取り繕っているハナシの裏に見え隠れするモノをキチンと読み取れているヒトがドレだけ居るだろうか 標語をつくった大沼勇治さん(39)=茨城県古河市=が16日、「負の遺産として保存し、人間の愚かさを後世に伝えるべきだ」と撤去反対を町や町議会に申し入れる。










「看板を撤去するのは間違った過去と向き合わない行為」

http://www.asahi.com/articles/ASH3H4RKKH3HUGTB006.html


「カネをかけてでも残そう」

そう思うのがマトモなニンゲンの考え方だ。

「コレだけは残したくない」

そう考えていなければ今回の様な結論は出せない。

ではナゼ「コレだけは残したくない」のか

ソレは当然「自分達に都合が悪いから」

己に少なからず疚しいトコロがあるから

「自分に都合の悪いモノは無くしたい」 

と考える。

実に解かり易い反応である。


原発に賛成したモノ 原発で旨味を吸ったモノ 

原発によってオイシイ思いをしたモノ達は

自らの中に多かれ少なかれ「疚しさ」を 抱えている。


ソリャぁソーでしょ

あんなヒトデナシな術でオイシイ思いをしたのだから

マトモなニンゲンであれば 

「己に罪悪感を抱く」のはアタリマエ

アレで自分自身の責任にすら向き合えないのなら

ニンゲンをヤメた方がイイと思うもんマヂで。


ソンなヒトデナシな自分と向き合わないとイケナイようなモノは

イツまでも残しておきたくない

アレを観る度に 自分自身が責められている気がする。

だからソンな己に都合の悪いコトは

「無かったコトにしたい」 

そう考えるのは無理もないコトかもしれんわな。


でもソレでエエんか?


あの看板を観る度に己が責められている様な気分がスル。

だからもうアノ看板は観たくない。

そう思うから尤もらしい理由をコジツケて

大金をかけて看板を撤去するワケだ。 


自分達に都合の悪いコトは 取っ払らって無かったコトにする。

都合の悪いコトをしたヤツラはダレも責任をとらず

自らの抱える罪悪感をも封印して平然とした顔で生きて行く。


看板のハナシだけではなく 今のニッポンには

こういったコトがソコラじゅうでまかり通っている。

自分らにとって都合の悪いコトに 尤もらしいイイワケをコジツケて

有耶無耶にさせたり揉み消したり無かったコトにしたり

己の責任と向き合わないクソなニンゲンばかりなニッポン。





































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