2014年3月10日月曜日

ナゼ解かっていないコトやハッキリしていないコトを さも解かっているかのようなモノの言い方をするンだろう 解かっていないコトやハッキリしていないコトを解かっているかのように振舞うと得をするのはダレで損をするのはダレだろう






「風評と闘う!!」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140308-00000033-mai-soci


間違いなく安全なモノを危険として扱うのであればソレは「風評」である。

だが現状はドーだ? 

低線量被曝や内部被曝や
ソレらによる多重複合的長期被曝に関して
「間違いなく安全だ」という根拠はドコにある?

「安全でないかもしれない」のであれば 
「避けておこう」と考えるのは当然である。

「間違いなく安全だ」という根拠の無いモノを
「風評だ」といって流通させて 
もし後から「実は安全では無かった」と判明したら
ダレがドノような責任をとってくれるのだ?

被曝して不具合が出たカラダを元通りに戻してくれるのか?

低線量被曝や内部被曝や
ソレらによる多重複合的長期被曝に関して
今のワレワレの置かれている状況が
「安全」か「安全ではない」のかは 
コレから何年か後に初めて判明するのだよ。

今はクニの言っている「暫定基準値」すら
本当に「安全」か「安全ではない」のか

ワカラナイ

本当に「安全」か「安全ではない」のか

ダレにもワカラナイ のだから

ドーするかは自分で決めるしかない。


我々は
自国で原発を爆発させてしまった

故にこのニッポンで放射能を避けて生きるのは非常に困難を要する。
被爆を避けるコトはドー足掻いても現実的に無理だろう。

ドーしても被曝を避けられないのであれば腹を括るしかない。

「ドコまで被曝を許容するのか」

ソレを自分自身で判断するしか方法はあるまい。


ダレがドー言おうが 
自分の身に起こったコトはダレも肩代わりをしてくれない。

痛みも苦しみも辛さも悲しみも 
すべてテメェもちだ。

ダレかの意見に従ったとて 
そのダレかが痛みや苦しみや辛さや悲しみを
代わりに味わってくれるワケではない。

ダレかに文句を言ったとて
自らの痛みや苦しみや辛さや悲しみは消えて無くならない。

自分がとった行動が
自分自身の未来を左右する。


流されるな 考えろ テメェ自身で。
































 

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