No!!NUKES!! 少々不便でも我慢するさ。金と引換えに下を向いて「ブツブツ」とイイワケを呟くのはゴメンだ。名無しでしか粋がれないような臆病者なら端から出シャバったりしねェよ。声にすべき事を声に出し、叫ばねばならないコトを叫ぶ。真っ直ぐ前を向いて胸を張って心豊かな人生をおくりたいだけさ。
2014年2月28日金曜日
法廷基準の40分の1だからヂャンヂャンバンバン垂れ流すよ~
「放出される総量がドレだけになるのか見当もつかない・・・」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140226-00010007-minyu-l07
ニッポンの全ての原発から放出されていたトリチウムの合計は
1年間で平均380兆(3.8×1014)Bq
今回の放出では
1日で1500Bqを100000リットル放出するから150000000Bq
1ヶ月で45億ベクレル 年間540億ベクレル
人為的に放出するトリチウムだけで年間540億ベクレルにもなるワケか。
ソレが何年続くのかワカラナイ・・・。
モチロンコレは 止めたくても止められなくて
毎日毎日環境中に垂れ流しになっている放射能とは別のハナシだからね。
いま現在までで福島第一原子力発電所爆発事故現場からは
「事故から半月チョッと」で「少なくとも」
「ヨウ素131とセシウム137の空間放出だけで90京ベクレル 以上」が放出された
「ヨウ素131とセシウム137の空間放出だけで90京ベクレル 以上」
しかもたった半月チョッとで・・・
原子炉内で生成される放射性物質の種類は160種類近くあるそうな。
福島第一原子力発電所爆発事故当初の
全ての放射性物質の合計がドレだけになるのか・・・
考えたダケでも 想像を絶するね・・・。
そしていま現在でも
止めたくても止められずに垂れ流されている放射能が
毎日毎日2億4000万ベクレルも空間に放出されている。
コレもどーせ全ての放射性物質の合計ではない過少評価だろう。
そしてもうヒトツ
福島第一原子力発電所爆発事故現場からの放射性物質の放出は
汚染地下水や原子炉冷却水の海への流出もある。
福島第一原子力発電所爆発事故現場から海に放出された放射性物質は
「事故からたった半年間」で15京ベクレル放出された。
コレもどーせ全ての放射性物質の合計ではないやろけどね。
そしてモチロン 今現在も海への流出は続いている。
コレらの数値は極々軽く見積もっての数である。
なんせ原子炉内で生成される放射性物質の種類は
160種類近くあるそうだからね。
2~3種類の合計では本当の放出量にはとうてい及ばないでしょ。
全てをキッチリ数えたら、いったいドレだけの量が
止めたくても止められずに環境中に流れ出てしまったのだろうか。
そしてコレからドレだけの量の放射性物質が
我々の住む環境中に放出されていくのだろう・・・。
目先の慾に負け
愚かな術に手を出してしまった代償は
あまりにも大き過ぎる・・・。
2014年2月27日木曜日
【絆、そして未来…僕から世界へのメッセージ】
謙です。
気仙沼で空から舞う雪を見ると、あの日の夜のことを思い出します。
濡れたままの服を替えることも出来ず、
暖をとることも出来ない多くの方々が闇の中に息を潜めていた。
その場にいない僕は、
流れてくる情報を聞きながら、
何も出来ない焦燥感に押し潰されそうでした。
震災の翌年のちょうど今頃、
スイスのダボス会議で僕が世界に発信したメッセージを、
僕自身が行く道を失わないよう、
震災3年目を前に、
皆さんとシェアさせていただきたいと思います。
絆、原子力、これからの幸福のかたち…、
長文で恐縮です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
まず、昨年の大震災の折に、
多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。
皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。
私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。
日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。
さらには近代の軍人や一般の町人たちも。
その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。
役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。
ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。
その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。
19世紀末の日本。
そう、映画「ラストサムライ」の時代です。
260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。
そのころの日本は貧しかった。
封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。
人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。
私は教科書でそう教わりました。
しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。
人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。
しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。
世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
それから日本にはさまざまなことが起こりました。
長い戦争の果てに、
荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。
私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、
1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。
まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。
冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。
しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、
社会は激変しました。
携帯電話、インターネット、
本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。
物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。
文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。
そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。
そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。
それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、
多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。
電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。
そこに何が残っていたか。
何も持たない人間でした。
しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。
それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。
それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。
「絆」、漢字では半分の糸と書きます。
半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。
困っている人がいれば助ける。
おなかがすいている人がいれば分け合う。
人として当たり前の行為です。
そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。
多くの外国から支援者がやって来てくれました。
絆は世界ともつながっていたのです。
人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く
「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。
いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、
その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。
私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。
しかし度を超えた成長は無理を呼びます。
日本には「足るを知る」という言葉があります。
自分に必要な物を知っていると言う意味です。
人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。
こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。
「原子力」という、
人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、
再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、
子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
私たちはもっとシンプルでつつましい、
新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。
がれきの荒野を見た私たちだからこそ、
今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。
今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは
大きな痛みと勇気が必要です。
しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。
心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、
皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。
そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。
謙さん、残念ながら
ニッポン人は「足るを知る」というコトバを忘れてしまったようです。
自らのチッポケな利益を守る為に
相手を理解しようという考えを持つコト無く
己の主張ばかりを押し出して
他人をクチ汚い言葉で蹴落とし
自らが譲る気などサラサラ無い。
未来を見据えるコトも無く
いま目の前にある己の利益にしがみ付くコトに必死になっている。
己の行動が未来に与える影響など考えたコトもなく
未来の展望の為に己を譲り我慢しようという気はサラサラ無い。
そんなヒト達ばかりのニッポンですから
大きな痛みに耐える覚悟も
大きな痛みに挑む勇気も
全く持ち合わせていないのです。
心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を
世界にみせるコトは もう無理かもしれません。
ニッポンは戦争に向かって突き進んでいます。
このままでは、いずれまたドコかの原子力発電所が爆発するでしょう。
でもソレが、ニッポン国民が選んだ道 なのです。
2014年2月26日水曜日
2014年2月25日火曜日
食品の放射能検査地図【牛乳編】
「牛乳がカラダに良いってハナシはウソなんだそうだよ」
http://www.whitefood.co.jp/news/foodmap/593/
まァ、オレは牛乳飲むとグルグルピーだから
ドッチにしてもカラダには良くないから飲まないンだけどねwww。
福島第一原子力発電所爆発事故以降
食の安全に注目するようになって
放射能以外の食の危険性とかのハナシもイロイロと知るコトになった。
知らないってェのは恐ろしい と思うし
知らないってェのはシアワセなんだなァ とも思う。
知らなけりゃ知らない間に蝕まれていく。
知ってりゃナンの対応もとらないクニに不安が増すバカり。
イロんなコトを知ってイロんなコトを考えて
自分の考えで答えを導き出すしか方法は無いンだよね。
日本の基準は不備だらけ その基準を規制しているヤツらは 自らの利益を守るコトには必死だが 自らの責任からは逃げている
「安全神話をつくるコトに必死なだけでしょ」
http://dot.asahi.com/wa/2013103000048.html
いざというときに誰が危険な現場に突入するのかすら決められていない
国民の命と安全と財産を本気で守るつもりがあるのか疑問
守っているのは、電力会社の財産ではないか。
彼らに国民の命と安全と財産を守るつもりなどない。
彼らが守りたいのは 自らの利益と自らの立場だけ。
2014年2月22日土曜日
2014年2月21日金曜日
新舞子サンデー 2014年2月16日 #2
全部のせwww。
ピアッツァNERO
パルサーエクサ
GT-5
見再生のビカビカコスモ
レージャケつき
驚愕のノンレストア
会場である新舞子駐車場をブラブラしながら
今月はこのコスモがファニーピックかなァ~って思ってたのですが・・・
さすが珍古車イベントの新舞子サンデー
コンなのが居ましたよ(@@)
初代セリカXX
しかもビッカビカ!!でフルオリジナル!!!
スゲエ!!
文句無し!!
今月のファニーピックはコレで決まり♪♪♪
新舞子サンデー恐るべしwww。
230000000ベクレルX100000リットルがヒューマンエラーで漏れ出ましたよ
「コレまでとはケタが2つも違う超高濃度放射性汚染水が漏えい」
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/4/9/4950.html
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014022000889
警報が鳴り 水位計の数値が上昇していたにもかかわらず
「機器のトラブル」と判断し水位を確認しなかった。
2014年2月20日木曜日
映画 シロウオ 〜 原発立地を断念させた町〜3月22日(土曜日)東京都江東区錦糸町駅前のoioi で上映会やります
悪魔のおっチャンが3月22日に反原発映画の上映会やるそうです。
crunkdevil Blog
http://crunkdevil.wordpress.com/2014/02/20/%E6%98%A0%E7%94%BB-%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%AA-%E3%80%9C-%E5%8E%9F%E7%99%BA%E7%AB%8B%E5%9C%B0%E3%82%92%E6%96%AD%E5%BF%B5%E3%81%95%E3%81%9B%E3%81%9F%E7%94%BA%E3%80%9C/
お近くの方は是非。
まァ「ゆず」をバクバク喰うコトは無いと思うけれども・・・食品の放射能汚染地図 果物編(2013年)
「食品の放射能汚染地図 果物編(2013年)」
http://store.shopping.yahoo.co.jp/whitefood/foodmap2013fruits.html
柚子はソノまま喰うコトは無いけれど
絞ってジュースにしてるモノがあるよね。
柿は沢山食べれちゃうから気をつけた方がイイね。
栗も同じく。
2014年2月18日火曜日
今となっては本当にCO2がワルモノなのかも怪しいのだけれど エネルギーを出来るだけ無駄にしない生き方を考えていくコトは今を生きる人類にとっての責務である
「コンバインドサイクル(複合発電)方式」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2014021302000133.html
自然エネルギーを
人類のエネルギー消費に有効活用するコトは大切です。
ただ、「有効に活用してるから」といって
エネルギーを無駄に消費してイイのか と言えば
ソーではない。
ドレだけエネルギーを有効に活用出来て居たとしても
消費するエネルギーが際限無ければ
ドーなるかは考えればワカる。
エネルギーを無駄にせず効率良く使うコトはアタリマエとして
如何に消費するエネルギーを抑えられるか というコトを考えないと
ナンの意味も無くなってしまう。
ナニをどうしたら効率よく環境負荷を最小限に
安定的にエネルギーを供給出来るか。
ナニをどうしたら効率よく
環境負荷を最小限にしてエネルギー消費を抑えるコトが出来るのか
キチンと考えて生きて行く必要があると思います。
エネルギー消費の問題は
自分の身の回りダケの問題では納まりません。
そのエネルギーが自分のトコロにやって来るまでに
ドノような形で辿り着いているのか
そのエネルギーが自らを経由してソノ先
ドノ様なカタチで決着するのか
自分がそのエネルギーを消費するコトで
ドノような結果が生まれて
ドノようなコトに繋がる可能性があるのか
キチンと見極めて決断行動する必要があります。
そしてこの先、
どの様な高効率のシステムが生まれて来たとしても
「エネルギーを消費しない」というコトに勝る
エネルギー消費問題の解決方法は無い
というコトもキモに命じておかなければなりません。