2011年6月12日日曜日

Human-made disaster






2007年の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が3500箇所超も損傷した時も、
「想定外の地震だった」と言った。

「想定外」と言う言葉をなぜ使いたがるのか。

「天変地異」で東京電力には責任がないと言いたいがために
「想定外」と言う言葉を使う。

だが、今回の原発事故は「人災」である。
これをきちんとさせておきたい。


2004年スマトラ沖で起きた大津波の時も検証の必要性は訴えられていた。

原子力安全保安委員長は
津波によって冷却機能が失われる可能性があることを認めていた。
それでも「メルトダウンが起こるようなことはない。」
「起こらない設計や、構造になっている」と言っていた。

実際には「メルトスルー」だったワケだが・・・。

何度も何度も国会で危険性を指摘していたのに、対応をしてこなかった。

地震で原子炉が損傷し、津波によって電源が全て失われた。
全電源喪失により冷却機能が失われ、炉心溶融が起きてしまった。
炉心溶融が起きてしまった事で水素が発生し水素爆発が起きた。
水素爆発が起きたことで膨大な量の放射性物質が飛散し
福島は超高濃度の放射能で汚染され
東京にも膨大な量の放射性物質が降り注いだ。

このとき、東電はどんなことをしてでも事態を食い止めなければいけなかった。
原子炉内の圧力を抜く「ベント」を即座に行っていたら、
正常に屋外にベントされ、建屋の水素爆発は防げたかもしれない。
だが、超高濃度の放射能を意図的に外部に漏らすということは、
今後の原発経営が成り立たなくなることを意味する。
東電はソレを恐れ「ベント」を躊躇した。

海水の注入にしても躊躇があった。
海水を注入してでも温度を下げることが最重要だったにもかかわらず。
海水を入れると廃炉になってしまうので躊躇した。
減価償却が終わって、動かせば動かすほどもうかる「金の卵」の原子炉を
儲け第一主義で捨てられなかった。
廃炉にして、株主代表訴訟が起きることを恐れた。
経営者の個人的思惑都合で日本を放射能で汚染した。

総理は「ただちに」原子力災害特別措置法に基づいて、
ベントも海水注入も命じるべきだった。
決断をするべきだった。

だが総理が無知無能だったばっかりに、
判断を東電や原子力安全保安院に任せてしまった。
無知と無能と保身が寄せ集まって
視察を強行させた。
一刻を争う事態収拾を遅らせ
結果として大惨事に至った。

「今回の事故は東電と政府による人災である」

と言われているが、
はたして全ての責任が東電と政府だけに在るのだろうか?

政治家 官僚 役人 企業 銀行 学会 マスメディア 自治体

原発で甘い汁を啜ってきたモノ達すべてに責任がある筈だ。

だから大きな声で批判が出来ない。

「自分達に火の粉が降りかかるのは困る」 からだ。

では、そんな「直接的に甘い汁吸ってきた」モノ達が
全て悪いのだろうか?

今一度、己を振り返ってみる。

「電気」というモノを無尽蔵に使い、利便性のみを求め、
リスクを知ろうともせず、無知で無関心だった。

そんな我々に「根本の原因がある」と 言えるのではないか。

確かに、今回の福島第一原発の事故は「人災」である。

だが、そんな「人災」を起こすようなニンゲンを作り上げたのは誰か、

自分さえよければイイと、無知で無関心だった我々ではないのか。

もちろん政府や東電や役人連中に御用学者に御用マスコミはクズだ。
クズ共の責任は大きい 過失の割合の多くを占めるだろう。
だが、「電気」というモノを使って生活して来た我々に
一切の過失は無いと言えるのか???
 
責任は、「電気」というモノを使って生活している者全てにある。

「誰か」に責任を擦り付け、自分を正当化することはイチバン容易いことなのだ。












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