2011年9月15日木曜日

どんなに頭よくても原発ひとつ止める知恵もないんじゃ意味がないな。





原発なんて全部停めますよ。あたりまえじゃないですか。なにいってんですか。


放射能対策は、1)強制避難 2)がれきは放置 3)汚染は封じ込め  が基本です。

原発に代替案など必要ありません。
原発は地球に存在してはいけないテクノロジーです!!!


おはようございます。

本日の愛知県春日井市は晴れ

放射線量は

地上1mで0.11μsv/h

地上5cmで0.14μsv/h

風通しの良いコンクリート

SOEKS-01Mで各10回計測の平均値。

Co-60補正(×0.774)済です。


放射能問題も、脱原発も、活動したって一銭の得にもならないんだぜ。 
じゃあ何でやるのかって? 
やらないと後悔するし、社会が間違った方向に進もうとしてるからだよ。 
今方向を正さないと、未来がとんでもないことになる。 
そういう地点に僕たちが立っているからだよ。


「放射性物質は目に見えない」と言われますが、
「あまりに毒性が強いので、目に見えないほど微量でも死に至るもの」である。

青酸カリは{成人、経口}で50%致死量が200ミリグラム程度。
放射性セシウム137の{成人、経口}での50%致死量は0.1ミリグラム程度です。

放射性セシウム137の方が
青酸カリよりも約2000倍ほど毒性が強いのです。



Death Town
使用済燃料棒の破片が降った町


申し訳ありませんが、
10月よりウチの敷地内は全面的に禁煙と致します。

誠に勝手を言いますが、
副流煙被曝を避ける為の
止む負えない措置で御座いますので
御協力宜しく御願い致します。

オマエラ本気で禁煙しないと死ぬゾまぢで。




第177回国会 行政監視委員会 第3号

平成二十三年五月十六日(月曜日)

午後一時開会


http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/177/0016/17705160016003a.html


○国務大臣(細川律夫君) 
今、石橋委員の方からお話がありましたように、
私は五月の七日にJヴィレッジとそれから福島第一原発の方に行ってまいりました。


Jヴィレッジから福島原発に行く間、これマイクロバスで行きましたけれども、
その間、人が一人も見えない、いない、
牛が放牧をされて、主のいない牛が、何というか、漂っているといいますか、
そんな風景を見まして、

本当に町全体が死の町のような印象をまず受けました。


そして、完全防護服を着まして、
そして第一原発の免震棟の方に行きましたけれども、
防護服を着てマスクをいたしますと、動作もなかなか鈍くなりまして、
非常に動くのも不自由、何か息をするのも何となくしにくいような、
そんな状態で免震棟の中に入りました。

そこには作業員がたくさんおられまして、
そしてたくさんの方がそこで作業をしたり休んだりいたしておりまして、
その状況を拝見をいたしまして、
この原発の収束作業、これは大変な作業であるということをまず実感をいたしました。


そこで、私は作業員の皆さん方に、
あなた方、皆さん方のこの作業というのはもう世界中の人たちが注視をしていると、
何とかこの原発収束をしていただくように心からお願いをしますと、
こういうことで、しかし、私の方では皆さん方の健康が大事だということ、
したがって、被曝量の管理とそして皆さん方の健康と、
これが私にとっては関心の最も高いところであり、
皆さん方が無事この作業を終えられることを
心から期待をしているというような挨拶もさせていただきました。

私は、作業員の皆さん方のまずは被曝線量の管理、
そしてまた健康管理、これをしっかりしていただく、
また私どもの方としてもそれを指導していくということを強く思った次第でございます。


また、会社側からもいろいろとお話もお聞きをいたしました。
会社側の方としても、収束に向けて最大限の努力をしているけれども、
なかなか思うようにいかないところもあって
国民の皆さんにも御心配掛けているというようなお話もございましたけれども、
いずれにしても、原発が収束をしなくては、
このための作業というのは
これは何としてもやり抜いていただかなければならないと思いますし、
そのために健康管理というものは
私どもの方としてはしっかりやっていきたいと、指導してまいりたいと、
このように考えたところでございます。




○石橋通宏君 大変率直な感想をいただきまして、ありがとうございます。(以下省略)


平成二十三年五月十六日(月曜日)
細川律夫君
本当に町全体が死の町のような印象をまず受けました。
平成二十三年五月十六日(月曜日)細川律夫君
本当に町全体が死の町のような印象をまず受けました。
平成二十三年五月十六日(月曜日)細川律夫君
本当に町全体が死の町のような印象をまず受けました。
平成二十三年五月十六日(月曜日)細川律夫君
本当に町全体が死の町のような印象をまず受けました。
平成二十三年五月十六日(月曜日)細川律夫君
本当に町全体が死の町のような印象をまず受けました。


Death Town
使用済燃料棒の破片が降った町




「日本のデモに表現の自由はない」

http://alt-movements.org/no_more_capitalism/modules/no_more_cap_blog/details.php?bid=135



http://iwakamiyasumi.com/archives/12496








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