2011年6月29日水曜日

TUBUYAKI





ツイッターで拾ったツブヤキ達・・・。




自分の安全について無頓着なのは好きにしてくれって感じだけど、自分の大切な人たちの身の安全については普通過敏になるものでしょ?そういう人間だと思っていた人までも、多くと変わらなくて落胆した。悲しかった。


安全かどうかとは別次元の問題として、当事者の安全宣言が信用を失っていることを自覚して欲しい。消費者から「そこまで、調べなくても良いんじゃない?」と声が上がるぐらいの検査をしないと、信頼は取り戻せないだろう。


いたることにばらまかれた放射能が深刻だから、それを知りたくない知らせたくないの考え方は粉砕しないとならない。無理やりにでも知ってもらわないとならない。知った上で対策してもらわないとならない。そうしないと死ぬ。


放射能も十二分に恐ろしいが何が恐ろしいかって、知識を得て避難しようとする人、被爆を避けようとする人を周囲が断罪すること。横並びが大好きな日本人らしい性質なんだけどさ。学校給食を食わないために弁当もっていったらいじめる子がいたそうな。教師は水道水を飲めと。戦時中の憲兵とかわらない


現実を見つめる目。希望を見つめる目。どちらも大事だ。片方だけの人は現実逃避だと思う。両方の目で現実を見よう


放射能に負けないこの言葉を聞くたび、ハンパない違和感に襲われる放射能は戦う相手じゃないと思う逃げなくてはならない相手だ。戦う大人がいるから、子どもが巻き添えになる

世の中に明らかに間違っている理不尽な事がたくさんある。その一つが『福島原発付近の子どもが今なお放射能を浴び続けている』こと。これは戦争で子どもが亡くなるのと同じくらい理不尽だ。でも、国民は無関心で声を上げない。

もんじゅに対しての日本のテレビ局の沈黙っぷり。地球の裏側で起きたペルーの落盤事故救出を連日連夜ライブで中継してたあの加熱報道、馬鹿騒ぎ。。報道する/しないを決めるその基準は何なのかと。「日本国民の安全」は判断基準から除外されてるようだ


日本には底力がある! とか力説する人がいるけど・・もう、底は抜けてるわなw


こんな国だったとは…ショックだし情けないです。日本は先進国で日本人は誠実、まじめ、繊細だと思っていたし、諸外国からも思われていたのだろうに。国民の命を守ってもらえないとは国って何のためにあるのでしょうね。


「母親が神経質すぎるのは子供に悪影響」という言葉が多くの母親を傷つけている。今必要なのは根拠なく安心することではない。みえない脅威について、自分が怖がっていることを子供に話せば子供は十分理解する。自分の健康を心配している親を子供は信頼する。うちの子たちは状況をしっかり理解している


いま福島で必要とされていることは、子供の首に測定器をぶら下げ、その値を日記帳につけさせることではあるまい。いったい全体チェルノブイリの放射線が危険で、それ以上の被曝である福島の放射線が安全だという根拠は何なのか。こんな馬鹿な話は古今東西聞いたこともない。


都内の給食に福島野菜を使用するらしい。学校給食に出すなら先に官邸や都庁や霞ヶ関省庁の食堂でやればいい。


朝起きて窓を開ける時も、娘の布団を干す時も、台所で換気扇付ける時も、ベビーカーで外に出る時も、雨が降って来て娘の足が少し濡れてしまった時も、離乳食用の食材を買う時も、お風呂で娘がお湯を舐めてしまった時も、心臓がドキドキする。私だけですか?


「被曝と被爆」はちがいます、なんて重箱の隅をつつく医系技官やら専門家。素人が乳飲み子抱えての訴えを、汲み取れないあんたらのほうが、よっぽど無能なんじゃないの?


先ほど晴海通りでたまたま横にいたダンプカーを見ると「放射性廃棄物運搬車」の文字が。お台場に運ぶだけでも許し難いが、この車、銀座のど真ん中を突っ切って来たのだな!!強風の中どれだけの砂埃となって人の身体に入った事か....


問題が起きても誰も責任を取ろうとしない社会。責任を取ったら事態が改善するか?と尋ねてきた人がいる。考え方が逆だ。責任を追及されないから、いい加減な対応しか考えないのだ。泥棒を捕まえても盗られた金は返ってこないから捕まえる必要がないと言っているようなものだ。

















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