2011年4月17日日曜日

Confession







「過ちを認める事から全てが始まる」http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/20110416jcast2011293099/


まずはソコからだわな。
イイワケする前にヒトトシテやるコトがある。
アタリマエで当然のコトだわ。
保身がイチバンに優先されるなんてコトが
ヒトトシテ許されるワケがない。


胸張って前向いて生きて行けれるか
自分自身に問いかけてみろ。




「安全な原発など在りえない 京都大学原子炉実験所 小出裕章先生」
http://www.youtube.com/watch?v=yEkI-jUGHmE
http://www.youtube.com/watch?v=e0W1bUENhfo&feature=related


「安全だというならば、都会に原発を建てよ」
まさにその通りである。


イイワケやコジツケやアゲアシとりをする暇があるなら
都会に原発を建てる計画をしろ。
自分達が使う電気は自分達のリスクの範囲内で生産すべきである。


ドンな理屈を並べようとも ドンなイイワケをしようとも
己の庭に原発を建てられないヤツが
偉そうにモノを言う資格は無い。


己の庭に原発を建ててはじめて
「ナンか文句あるか?」と言う資格を持てるのだ。


己の庭に原発を建てられないヤツが
偉そうに原発の是を語る資格は無い。


「安全だというならば、都会に原発を建てよ」
まさにその通りである。




「4号機も爆発しとるよ」
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_nuclear_power_plant__20110417_81/story/20110416_yol_oyt1t00803/


「実は制御不能だったんですよ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000375-yom-soci


「汚染水増えとるよ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000292-yom-soci


「イマサラだけどねェ・・・」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000287-yom-sci


「ふざけんな、国民を舐めるのもいい加減にしろ」
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/backnumber/n_nuclear_power_plant_3__20110413_57/story/mainichi_20110413k0000m040150000c/


保険で賄えない分は自腹切るのが当然。
ナンで国民が負担せなアカンのや。
東電は保障が終わるまで借金払い続けながら電気を供給すればエエ。
一気に全額払う能力は無くとも、
時間をかければ支払える能力は十分にある。
東京のニンゲンが電気を使わなくなるコトは無いのだからね。


「腹を括れ」
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_fukushima2__20110417_33/story/20110416_yol_oyt1t00653/


もし自分が飯舘村の住人だったらどうするだろうか・・・。


命が惜しいからサッサと逃げるかなぁ。
命を賭けて抗議する為に村に残るかなぁ。


国に対して文句を言うかなぁ。
原発を容認して最悪の事態を招いてしまった自分を責めるかなぁ。


蓄えも無いからホイホイと気軽に避難も出来ないし、
避難するっていっても伝手も無いからアテも無いし、


アホみたいに抱えてしまったモンキーの部品はドーしようか・・・。


命が惜しいからサッサと逃げるかなぁ。
命を賭けて抗議する為に村に残るかなぁ。


国に対して文句を言うかなぁ。
原発を容認して最悪の事態を招いてしまった自分を責めるかなぁ。


どうすれば納得するだろうかなぁ・・・。




「被曝してなきゃ帰れるかも」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000533-san-pol









昨晩、NHKでマイケル・サンデル教授の
「究極の選択」という講義をやっていた。


対話形式で行われる氏の講義は、
学の無いオレが観てても解かり易く面白いので
今までも何度か観たコトがある。


毎回議題が哲学的なので答えは出ないのだが、
問題について考える過程で、
自分にとっても色々と考えさせられる問題にぶつかる。


今回の議題は「大震災」

中国とアメリカと日本の優秀な学生達を集めて、
様々な議論をぶつけ合う。


当然「原発の是非」の話も出た。

肯定否定織り交ぜた意見が出たのだが、
オレとしては納得がいかない意見ばかりだった。


何故ならば、誰も原子力に関して
最終的に無に帰する処理までの話をしなかったからだ。


様々な考え方があって、原子力を肯定したり否定したりする意見がある。

否定する側の人は、放射能の危険性を訴え。
肯定する人は、人類が火を使うことを覚えたり、
空を飛ぶことを覚えたコトと比較している人も居た。


「上手く扱えば便利だし安全なんだ」と。

放射能の危険性だけを訴えたとて、
「上手く扱えばよい」という意見に潰されるに決まっている。

ニンゲンは怠惰な生物なのだから当然だろう。

そんな議論を繰り返していても平行線に終わるのは目に見えている。

何故否定派は最終的に処理出来る技術が無いコトに触れないのだろうか。

核廃棄物を最終的に処理して無に帰す技術が
今のニンゲンには無いのだ。


ニンゲンは核を処理して無に帰す技術が無いのに、
処理出来ないコトを解かっていながら
毎日膨大な量の核廃棄物を生み出している。

今まさにこの瞬間もだ。

次々に溜まっていく核廃棄物を、
この先ニンゲンはどうするつもりなのだろうか?


火も飛行技術も、ニンゲンが制御し無に帰するコトが出来るから扱える。
だが、原子力はニンゲンが制御出来ない技術なのだ。

制御できるように見せかけているだけ
制御できているように見せかけているだけ なのだ。


制御出来ないような物は 誰であろうとも絶対に扱うべきではない。



http://www.nhk.or.jp/harvard/





 

































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